2012年6月11日月曜日

読了: キュレーションの時代

佐々木俊尚著の「キュレーションの時代」を読了した。

近年のIT化された社会の流れを総括するような非常に示唆の多い本だった。
この本が書かれたのが2010年、つまり2年前というのだからたまらない。

この本の中で、著者はまずIT化以降における、僕らとモノとの関係を次のように説明する。

IT化によって、僕らが手にする情報・モノ(=コンテンツ)が圧倒的に増えた。
さらにiTunes, Amazonが、その気になれば僕らがいつでも好きなときに欲しいものを手に入れられる環境を作ってしまった。ある意味、僕らは常にたくさんモノに囲まれている状態とも言えるのだ。

このように何でも手に入るようになり、逆説的に何を手にして良いかが分からなくなったのが現代であると著者は論じる。

僕らがコンテンツを手に取る理由とは何だろうか。
それは次の一言で説明される。
コンテンツはそれだけでは意味をなさない。
コンテクスト(=文脈)を伴なって初めて意味を成す。
古くはセレクトショップの店員やDJ。物知りの先輩や会社の上司。
こうした人たちは、コンテンツに辿りつくまでのストーリーを語り、僕らをコンテンツへ道案内してくれるような人(=キュレーター)である。キュレーターのおかげで、僕らはコンテンツを「発見」し、その価値を知り、コンテンツを手に入れようとしてきたのだ。

IT化以前は、そうした案内人の中でも絶対的な存在がマスメディアであった。
わざわざキュレータという概念を持ち出すまでもなく、マスメディアはキュレータとしてそこに存在し、そこで紹介されたものこそがほとんど全てであり、価値があるとされた(と僕は想像する)。

しかしIT化以降においては、マスメディアも視座のひとつに過ぎなくなった。
IT化によって誰もがメディアを持てるようになりマスメディアを凌駕するようなメディア力を持つ人々もあらわれ始めた。

マスメディアがカバーできる範囲よりはるかに多くのコンテンツが溢れていること。
多様な価値観が受容されるようになり、コンテンツの価値自体が文脈によって様々変化するようにもなってきたこと。

こうした状況下では様々な切り口でコンテンツを紹介するキュレーターが登場する。

前述のようにキュレーションという行為自体は昔から行われており、目新しい概念ではない。しかし、IT化以降においては、コンテンツのクリエイターと同じくらいキュレーターの重要性は高まり、必要とされてきている。広い視点でコンテンツを知り、更に独自の切り口でコンテンツとコンテンツを線で繋げ、ストーリーを紡ぎだすキュレーターが求められているのだ。

こうした時代だからこそ、良いキュレーターにもっと光が当たるWebサービスがあっていいと思う。
実際そういったサービスが2012年の現在、どんどん登場し始めているように思う。