2012年4月18日水曜日

文章の上達(1)

ここ1ヶ月くらいのアイディア出しフェーズが一段落して、各プロジェクト共、制作期間に入ってきました。そうなると一日の時間の中でインプットよりアウトプットの時間が長くなるせいか、自然とブログを書くペースが遅くなってきているように思います。

とは言え、この1ヶ月はインプットが多かった分、割とブログも書けて、文章を書く行為が自然体でできるようになってきたように思います。

それで最近、例えば、
  • Facebook上で、各プロジェクトごとにメンバーと意見を交換するときに、必要とあらば長文を書けるし、長文でも伝えたいことを伝えられる
とか
  •  今迄は、書きたいことがかなりはっきり決まっていない限り書き出すことをしなかったけれども、最近は漠然とした思い、感情があれば、文章の方向性が見えなくてもタイピングしているうちに、それをひとまとまりの文章として割と納得感のある形に書いてしまうことができる
ということがありまして、こういうことは昔はできなかったことだから、文章 (ここでは文体のことを主に言っています) を書くことが少しは上達したかもな、と思うようにもなりました。

僕がこのブログで文章を書くときの流れを振り返ってみると、

書きたいアイディアが湧く → ブログに書き起こす → 何度も見直す → 文章の流れが不自然な箇所を修正したり、文章を並べ替えたり、内容を加筆するなど、どんどん直す → 寝る → 次の日もう一回確認する → また直す

とかやっていまして、つまりは割と馬鹿みたいに推敲を何度もやっています。
だから文体に関しては結構鍛えられているのかもしれません。

でも、この程度の文章が書けるまでに、既にブログ始めて 4、5年経過しています。
自分の進歩のペースのこの遅さを考えると、ネットで時々拝見する、「読ませるなぁ」「文章が上手いなぁ」、と思わせる方々は相当にストイックに文章の練習を継続したが故の境地なのであり、やはり尊敬の念を覚えます。

自分がブログを開始した頃の文章とか読むと、稚拙さが目につきます。
文章が上手いというのはつまるところ、「正しく考え、それを過不足なく正しく言葉にする」ということだと思うのですが、その点からすると、昔のブログを読み返していると、あちゃ、と思うことの連続です。例えばこんなとき。
  • 書かなくて良いことを書いている
  • 抽象的過ぎて話が分かりづらい
  • 言葉の定義が曖昧
  • 最後の落ちを負け惜しみっぽく締めていて読後感が悪い
    • 「上手くできないことも含めてとても楽しい」とか
  • 自分を実際以上に見せようとして鼻につく
ちなみに、今の文章でも、程度の差こそあれ、上記のような点があると思います。
それでも少しはましになったかな、という感じ。

ありきたりの結論ですが、表現の熟練には何事も時間がかかるものです。
このことは文章を書くこと、演奏、作曲、プログラミングでは少なくとも当てはまると思います。そして僕にとっては、これらの作業は互いに補完し合い、相互作用し合う関係性でもあります。例えば文章が上達すれば、作曲にも何らかの良いフィードバックがある。

一方で「表現の熟練」と「視座の面白み」「内容の正しさ」というのもまた別の話であることにも注意が必要です。
例えば、文体が整っているからといって、面白いことを書いているかは別の話。
「表現の熟練」とは別に、納得のいく視座を獲得するためには訓練をする必要がある訳です。表現の熟練がアウトプットの継続により得られるとしたら、視座の獲得はインプットの量がとにかくモノを言う世界です。
全くの別物だと思います。

かくように、表現行為というのは面白くも非常に難しいなぁ、と思うのであります。