2012年4月29日日曜日

今年もGWシーズン突入ですね

この土、日、月と続く3連休は、

友人たちの録音の手伝いを完了させる
goodbye blue mondayリハ
ブルースセッションの準備
Jazzセッションの準備

という感じでいく。

なるべくならニコニコ超会議にも行っておきたい。
あと月末の締めとしてランニングを2回走っておこう。
結構盛り沢山だ。

金曜日は吉田くんが家に来て、二人で初めてのJazzセッションをしてみた。
予想してたよりもすんなり曲として流れたので、今後はレパートリーをどんどん増やしていけそうだ。

2012年4月23日月曜日

タッチの差

昨日、ふらっと入ったお店に、前々から欲しかった希少品が、たまたま在庫がひとつあるのを見つけた。とは言えちょっと高価なものなので、すぐ購入とは行かず、1日だけ検討することにしてお店を後にした。猶予は1日と踏んだ。お目当てのものは、ニッチなものではあるが、見る人が見つければすぐになくなってしまう人気商品でもあるのだ。

その後、他のお店もいくつか周ってみた。やはり希少品だけあって、同じものはどのお店にも置いていなかったが、若干グレードの低い代替品ならばいくつかはあった。もちろん、代替品で用が済むならそちらの方が良い。浮いたお金で他のことができる。だからインターネット等で十分な下調べをして、代替品購入を検討してはみた。かなり前向きに代替品の購入を検討したのだ。しかし、十分に情報を手にしても、やはりアレを手に入れる必要があるのだ、という結論に逹した。

だから、今日は目一杯気持ちを作って、もう一度お店に行った。
ところがそれは、30分程度のタッチの差で既に奪われてしまっていた。

そうなると、そう、俄然欲しくなってしまう。
どこかに在庫がないかとインターネットを巡回しだすという良くないパターンが始まる。メーカーがイタリアにあるので、英語ではあるがコンタクトを取ったりもしてみた。しかしもう手に入るかは分からない。

手にしたいものは、迷いなく決断しないとすぐに手遅れになる。

2012年4月22日日曜日

気持ちの伝え方

最近相談を頂いたときに考えたこと。

何か伝えたい思いがあったときに、
  • 思いを思いのまま伝える
  • その思いを何らかの表現・行動で伝える
という手が考えられます。
経験的には、大抵は後者の方が効果は何倍もあるように思います。
その表現、行動が間違って発露されない限り、ですが。

例は敢えて省略しますけれども、後者の方が思考しますし、時間もお金も使いますしね。
それを考えると前者は結局安く済ませようとしている、とも言えます。

固苦しく言うと、戦略と知恵と工夫を持って思いは伝えるのが良い。
何故ならば思いは伝わって勝ちであり、思いを伝える側としては勝ちたい訳なんだから。

そう、熱い気持ちを昇華して何か別の形にして渡そう。
形にする前に心が折れるようなら、思いもその程度。
つまり、君の思いの強さとクリエイティビティが試されている!

チャラさんのライブ

昨日、後輩の弓子ちゃんが誘ってくれて、恵比寿のリキッドルームで開催された、キューン・ミュージックというレーベルの、レーベル設立20周年記念ライブを見に行ってきた。

この20周年記念ライブはリキッドルームで4月上旬から、20周年にちなんで20日間連続で行われているらしい。最終日は4月28日で、電気グルーヴとギターウルフが出演するとか。その組合せ、聞いただけで楽しそうなんですけれど。

主催のキューンというレーベルは、ラルクアンシェルやユニコーン、チャットモンチー、ゴスペラーズ、パフィー、真心ブラザーズ、アジカン、ねごと等々、メジャーの大型アーティストをとにかく沢山囲っている。2012年で20周年なわけだから92年設立か。最もCDが売れた時期に、売れたアーティストを沢山従えていた訳だから、良い意味で商業的に成功しているレーベルという感じだ。

昨日はそのキューン所属アーティストの中から、LamaというバンドとCharaさんのバンドが出演した。Lamaは元ナンバーガールの田渕久子さんや、元スーパーカーのナカコーさん、フルカワミキさんらが組んでいるバンドだ。

Charaさんのライブは初めて見たんだけど凄すぎて呆然としてしまった。
ありきたりの感想になってしまうけれども、声が唯一無二で、歌も上手いし、お客さんの扱いも上手。曲は良いし、あれだけのアーティストだからバックの演奏も上手だ。セクシーなお母さん。自然と目線がいってしまう。

ライブ途中、MCで、「今日何の曲が聴きたかった?」っていう問い掛けをした。お客さん (チャラさんは女性のファンがすごく多い) は思い思いの曲名を次々に言っていた。数々の曲名をお客さんは言ってたけれど、誰も「スワロウテイル」とは言ってなかったはずだ。僕はチキンだから心の中で「スワロウテイル」って言った。。チャラさんはお客さんの意見を一通り聞いて、「あぁ、そっかー。」って言って。そして始めた曲がスワロウテイルだった。もちろん、セットリストの予定された曲であって、勝手な偶然なんだけれども、そのせいで余計印象深いライブになってしまった。

それにしてもスワロウテイルを聴くと、小林武史さんとまたタッグ組んでくれないかなぁ。レーベル違うし難しそうだけれども、もう一度やって欲しいなぁ、と思います。MONTAGEはお気に入りのアルバムです。

リキッドルームクラスの広さで良いライブを見ると、アーティストとの距離がすごく近いもんだから、アリーナとかで見るよりもかなり魅惑されてしまっていると思う。帰り道は、「はー、本当に魅力的な人なんだね。」とか言って。いつかああいう人と演奏してみたいと思ってしまう。

今帰宅したところだけども、昨日のライブが思い出されてしょうがないので、蔦屋に行ってCharaさんのCD借りて来て落ち着こう (落ち着けるのか?) 。

弓子ちゃん、お誘いありがとうございました。

2012年4月18日水曜日

文章の上達(2)

ブログを書く、ということを「継続する」ことに焦点を当てるならば、日々のインプットの多さが結局大事なのだと思います。

インプットが少なければ、書くネタを見つけるところから始めなければならず、アウトプットを出すことのハードルが高くなる。
インプットが多ければ、自然と書きたいことが出てくる。

勿論、「静かに黙って考える・思考する」、という行為によってアウトプットを出していくことはできますが、それでは継続して書いていくことが難しい。やはり日々、本を読むなどのインプットの継続がなければ、と思うのです。
これはあくまで僕の経験則です。

とあるソース (「イヤなことを確実に忘れる意外な方法」) によりますと、「感情」の持つ情報量は文章の持つ情報量に比べ圧倒的に大きいそうです。だから本を読んで書評を書くという行為を継続することはかなり大変ですが、失恋したときなどのように、大きな感情の揺れがあると、その感情の持つ膨大な情報量をタネとして、しばらくはブログを頻繁に継続できるんだろうなと思います。

しかし物書きとしてやっていかれる方は、やはりそうした感情の起伏とは関係なく文章をアウトプットできる能力が必要で、その為に普段からインプットを地道に行い、書くべきネタをストックし、そこから自分なりに言いたいことを正しくアウトプットする訓練が大事なのだと思います。

文章の上達(1)

ここ1ヶ月くらいのアイディア出しフェーズが一段落して、各プロジェクト共、制作期間に入ってきました。そうなると一日の時間の中でインプットよりアウトプットの時間が長くなるせいか、自然とブログを書くペースが遅くなってきているように思います。

とは言え、この1ヶ月はインプットが多かった分、割とブログも書けて、文章を書く行為が自然体でできるようになってきたように思います。

それで最近、例えば、
  • Facebook上で、各プロジェクトごとにメンバーと意見を交換するときに、必要とあらば長文を書けるし、長文でも伝えたいことを伝えられる
とか
  •  今迄は、書きたいことがかなりはっきり決まっていない限り書き出すことをしなかったけれども、最近は漠然とした思い、感情があれば、文章の方向性が見えなくてもタイピングしているうちに、それをひとまとまりの文章として割と納得感のある形に書いてしまうことができる
ということがありまして、こういうことは昔はできなかったことだから、文章 (ここでは文体のことを主に言っています) を書くことが少しは上達したかもな、と思うようにもなりました。

僕がこのブログで文章を書くときの流れを振り返ってみると、

書きたいアイディアが湧く → ブログに書き起こす → 何度も見直す → 文章の流れが不自然な箇所を修正したり、文章を並べ替えたり、内容を加筆するなど、どんどん直す → 寝る → 次の日もう一回確認する → また直す

とかやっていまして、つまりは割と馬鹿みたいに推敲を何度もやっています。
だから文体に関しては結構鍛えられているのかもしれません。

でも、この程度の文章が書けるまでに、既にブログ始めて 4、5年経過しています。
自分の進歩のペースのこの遅さを考えると、ネットで時々拝見する、「読ませるなぁ」「文章が上手いなぁ」、と思わせる方々は相当にストイックに文章の練習を継続したが故の境地なのであり、やはり尊敬の念を覚えます。

自分がブログを開始した頃の文章とか読むと、稚拙さが目につきます。
文章が上手いというのはつまるところ、「正しく考え、それを過不足なく正しく言葉にする」ということだと思うのですが、その点からすると、昔のブログを読み返していると、あちゃ、と思うことの連続です。例えばこんなとき。
  • 書かなくて良いことを書いている
  • 抽象的過ぎて話が分かりづらい
  • 言葉の定義が曖昧
  • 最後の落ちを負け惜しみっぽく締めていて読後感が悪い
    • 「上手くできないことも含めてとても楽しい」とか
  • 自分を実際以上に見せようとして鼻につく
ちなみに、今の文章でも、程度の差こそあれ、上記のような点があると思います。
それでも少しはましになったかな、という感じ。

ありきたりの結論ですが、表現の熟練には何事も時間がかかるものです。
このことは文章を書くこと、演奏、作曲、プログラミングでは少なくとも当てはまると思います。そして僕にとっては、これらの作業は互いに補完し合い、相互作用し合う関係性でもあります。例えば文章が上達すれば、作曲にも何らかの良いフィードバックがある。

一方で「表現の熟練」と「視座の面白み」「内容の正しさ」というのもまた別の話であることにも注意が必要です。
例えば、文体が整っているからといって、面白いことを書いているかは別の話。
「表現の熟練」とは別に、納得のいく視座を獲得するためには訓練をする必要がある訳です。表現の熟練がアウトプットの継続により得られるとしたら、視座の獲得はインプットの量がとにかくモノを言う世界です。
全くの別物だと思います。

かくように、表現行為というのは面白くも非常に難しいなぁ、と思うのであります。

2012年4月13日金曜日

アイディア出し

今は昼も夜もアイディアを出すために、情報収拾をしたり、アイディアを書き留めたりして活動している。僕のアイディア出しはまとめてみると大まかに次の3ステップに集約される。
  1. 情報を徹底的に集め、再構築する
  2. クラウドツールを使って共同作業
  3. インプットした情報を踏まえた上ででてくるアイディアをスプレッドシート書き落とす
やみくもに手を動かし何かを作り始める前に、作り出したいものが自分の中から自然に溢れ落ちてくるまでの準備、という過程を踏む訳である。こういう過程を踏んだ方が、良いものが作れることが多いと感じている。

まずは情報を集めることから始める。
今どういうものがあって、どういうものがないのか。どういうものが求められているのか。これだけインターネットが発達し、誰もが平等に情報にアクセスできるようになった時代に意味のあるものを出そうとする以上、情報収拾もそれなりのコストをかける必要がある。
そうでないと、せっかく作っても誰かが既にやっていたり、すぐに真似されるようなものしかできない。新規性がありながら、人に受け入れられるものを出していこうとするならば、時流を読む力も必要で、これは現在の状態について色々ソースを当たることで何となく分かってくるものである。

こうして集めた大量の情報から必要な情報を取捨選択し、それらを新たな情報として再構築し情報を捉え直した上で、更に情報を集める、ということを繰り返す。この作業の過程でオリジナルなアイディアが浮かびやすくなる。インプット作業は、このように作る作業と同じくらいクリエイティブに行われなければならない。
僕は情報収拾の過程では、マインドマップ上に集めた情報をどんどん書き出しておいて、個々の情報の関係性を整理しながら理解を深めていく、ということをよくやる。

情報を収拾し続けていると良いのは、自分の出すアイディアについても、それが筋の通ったことか、そうでないかについて、作る前にある程度確信を持つこともできるようになる、ということもある。いざ何か作る、となったときには、自分の作っているものが、イケている、とある程度の確信を持っている、というその確信が (モチベーションを継続しやすい、とか色々な意味で) 大事になってくる。

次に、得られた情報を共同作業者と共有することが大切だ。
共同作業者の能力が高ければ高い程、自分に利があると思わなければならない。
そのために、自分の得た有益な情報は、どのような形であれ共同作業者とシェアし共通理解を増やしておく。情報の共有には、Facebookメッセージを使ってもよい。DropBoxなどのクラウドツールを併用することで、人と電子化した本・音源など、更に濃密な情報も交換できる。

こうしてインプットした情報を踏まえた上で、出てくるアイディアをスプレッドシートに書き出す。アイディアは多ければ多いほど良い。小さなアイディアも逃がさず記録しておく。自分で駄目だと思ったものも、他の人から見たら良いアイディアかもしれない場合もあるから、あまりフィルターをかけずに (とは言え、それなりのクオリティのものを) 数を出そうという意識が大事だ。

更にできるならば、こうして書き出したアイディアを元に筋の良さそうなものを、ざっとで良いから実際に作り出してみると、作る作業に弾みがつく。

こんなことをしている訳だけれども、こういう生活をしているときは、何か毎日張りがあるように思う。

2012年4月10日火曜日

桜を見ながら思う

先週の土曜日、友人にお誘い頂き、浅草の伝法院でお花見をする機会がありました。先週の週末が見所であるからして、どこもかしこも花見客でごった返している中、我々は伝法院を貸切り、良く手入れされた桜の樹の下で、新たに友人となったソムリエ樣がチョイスしたワインを飲む、という僕の身分には不相応の大贅沢というか、高度資本主義の成せる技とでもいうか、そんな時間を過ごさせて頂きました。ちょうどその日が誕生日でもありました。

その三日くらい前、今年はもう最後でお願いしたいが、辰年の激動がまたひとつ。吉田くんがバンドを離れることになった。
思えば吉田くんが僕をバンドに誘ってくれて2年間、我慢してバンドにいさせてくれて、真剣に叱咤激励してくれてここまで育ててくれたことには本当に感謝しているし、曲の作り手としても日増しに尊敬の念は高まっていた。バンドに沢山のものを残してくれた。それだけに一緒のバンドで演奏できなくなることは本当に寂しい。でも彼とは今後も音楽で何か一緒にできれば、と思うしやっていくつもりだ。僕はまだバンドを続けます。

週末は2日間連続で知人の結婚式にも出席させて頂き、またライブ見に行ったり、バンド練習をしたり、お花見をしたり、深夜に知人カップルの家に押しかけて夜通しご飯を作って頂き飲んだり、と多くの人と時間を過ごすことができた。それでも会が終われば、みんなまたそれぞれの場所に戻っていく。人に会ったからといっても、孤独が解消される訳ではない。

振り返ると、新たな年齢となり、それに歩みを合わせるかのように、プリミティブなものだけが残る結果となった。そのプリミティブなものが、また大きく広がっていくような次の10年にしたいと思う。その覚悟もできたかな、と、まだ満開の桜を見ながら。

2012年4月5日木曜日

ライフログサービスを考える

最近、色々と所謂ライフログと言われるサービスを試している。ランニングの記録を取ったり、睡眠の記録取ったり、読書の記録を取ったり。

日々の生活の記録 (=ライフログ) は、過去の行動を踏まえ未来の行動に生かすための財産と言える。女性が生理周期を記録することで得られるメリットはその具体例だ。

ライフログサービスの課題は、ユーザ自身に活動の記録を取ること継続させることである。

活動の記録の方法として、「サービスがユーザに自動または無断で記録し続ける (受動的)」か「ユーザがサービスに記録する (能動的)」の2通りが考えられる。しかし、プライバシーの問題及び心理的抵抗により、ユーザは前者のようなサービスは使わない、ということが近年の傾向だ。

そこで、能動的にユーザに活動を記録してもらうことを考える。このとき、ユーザがFacebook等へ記録を投稿する、といった「自己顕示欲の発露」にのみ記録行為の継続を頼ると失敗する。自己顕示欲は他者との関係性等の複雑な要因に左右されるものであり、波があり継続しないからである。そのため、ライフログサービスでは記録行為を継続する明確な動機付け (インセンティブ) をサービス側がユーザに与える必要がある。

例えば自分の行った場所を記録していくFoursquareというサービスは、ライフログツールとしての側面がある。このサービスがユーザに与えるインセンティブは「記録する回数に応じてアイテムを得ることができる」、「記録した場所の近くのお店のクーポンをもらえる」、「知人のいる場所を知ることでコミュニュケーションが促進される」という3点である。

また、ランニングや睡眠、読書のライフログサービスのように、ユーザの記録を「集計レポート化」し提示する、というインセンティブを与えるものもある。

まとめると、ライフログサービスがユーザに活動の記録行為を継続するために与えることのできるインセンティブとしては以下の4つが考えられる。
  1. 「クーポン等の金銭的報酬」
  2. 「アイテムがもらえるなどのゲーミフィケーション要素」
  3. 「記録から導き出される集計レポートの閲覧」
  4. 「同じサービス内で記録しているユーザ同士を緩くつなげることで発生するコミュニケーション」
これらの要素を1つも組み込まないライフログサービスのブレークスルーは難しい。また、この中では、3の「集計レポート」要素は、技術屋の腕の見せどころで、他サービスとの差別化要因、参入障壁にしやすいということも言える。

などということを考えました。
嵐明けの今日は良い天気で、夜桜を見に行きました。
三分咲きくらいだったなぁ。

2012年4月3日火曜日

4月

引越して3週間、ようやく落ち着いてきたので、自炊 (食べる方)、とか練習とか宅録とかができるようになった。しかし、一人だと夜は楽をして外食してしまうことが多い。。しかも蕎麦にはまってしまって、蕎麦ばかり食べてるからどんどん痩せている気がする。

ハーフマラソンで痛めた足の筋肉が2週間越しで回復してきて、階段も昇り降りができるようになってきたし、ゆっくりであれば走れるようにもなった。しばらく歩行も困難な状態だったこともあり、走れること自体が嬉しかったので、トレーニング再開、と思い走ってみた。3kmくらいまでなら痛み無しで走れた。ちょっと無理して10kmと思ったが 8km弱くらいが限度。3km以降は足が痛み出し、休み休みになってしまった。というか、3km以上は走らない方が良い感じだった。本当は早く10kmくらいをコンスタントに走るトレーニングに戻したいところなんだけれど、当面はストレッチを入念にやりながら短かい距離を刻みつつ、徐々に距離を増やしていくしかないなぁ、という感じ。

4月最初の日は花見の予定だったのが雨と強風で流れてしまって山本家へお邪魔した。
何か久しぶりにみんなに会った感じがしたな。そんなこともないんだけれども。
写真は美人姉妹と家主樣。

今月も頑張ろう。