2011年1月15日土曜日

ソーシャルネットワーク鑑賞

朝起きてピアノの練習をして、それからまた録音作業しつつ練習しつつ夜まで作業。
夜から相方と映画「ソーシャルネットワーク」を見に行った。

ドキュメンタリー映画とは銘打ってないだけで、ほとんどシリコンバレーベンチャーのドキュメンタリー映画である。
今や世界を代表するSNSとなったFacebookが、元々は米国の一人の大学生が大学内のコミニュケーションの不便の改善のためにコードを書き始め、やがては現在のように大きくなっていった、というその道程を描いていた映画だ。

「Facebookは我々が元のアイディアを考えた。彼らはアイディアをパクったのであり許せん」と言って裁判を起こす大学生。共同創業者でありながら、急激にサービスが社会に与える影響力が大きくなっていくその変化のスピードについていけなくなり、一方では彼にとっては様々な腹持ちならない決断を下していきながら会社を確実に広げていくもう一人の創業者を、ついに訴える元親友。
そんな彼らにシリコンバレーの、「作り続けることこそが重要」という流儀が浴びせられていく。

ITの世界でサービスを企画することについて良く言われることのひとつとして次のようなものがある。
「サービスのアイディアはあなたが思いついた時点で、世界のどっかで同じことを考えている人は既に10人はいるだろう。問題はそのアイディアの実現にあなたがどれだけ力を注げるかである」。
そんな世界だからこそ、アイディアそのものよりも、アイディアを形にしていくエンジニアリングが重要視される。
「今動いているこのサービスのアイディア、それを最初に考えたのは私です」、ということITの世界ではそれほど重要ではない。「このサービスを大きくしていくためにこんなことをしました」が重要なのだ。
映画で描かれているのは、こうしたいわゆるシリコンバレーの流儀と、その流儀に合わない人たちとの衝突とも言える。

僕は今だにシリコンバレーの流儀を絶対善として見ているかというと、100%、YESではない。この何年か、日本のIT業界でもシリコンバレーのこうした流儀はちょっとしたブームとなり、盲目的に信仰されたりして、ちょっと疲れてしまった、というのもある。また、その流儀を良いように解釈した適当な経営者も随分見てきていたこともあるせいだろう。
ただ、そうした流儀によって駆動されているのが米国の西海岸の田舎で起きていることなのである。
シリコンバレーの流儀や、所謂ベンチャーサクセスストーリーを知らない人にとっては、こうした流儀を知ることのできる良い映画だと感じた。

映画終わりで、代官山UNITでATAK Dance Nightへ。
今回は、調性のないストイックなリズム主体のパフォーマンスだった。TR-808を使うなど昨年のWombでのパフォーマンスに近かった。僕の好きな種類のパフォーマンスでした。
終わって明け方に帰宅。